[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
日給が大変良かったのでその託児のアルバイトを伊作は喜んで引き受けたのである。
伊作は不運な貧乏学生で、月末にはいつも飯を食う金にも困っていたから割の良いアルバイトの話が転がり込んできたのは非常に珍しい幸運だった。
さて、その預かる予定の子供は適当な時間に親が伊作の安アパートに連れてくる筈だったのだが、その日玄関のチャイムを鳴らし現れたのは子供自身がひとりきりだった。
「こんにちは」
「やぁ」
伊作は変だなぁと思った。
こんにちは、と言ったのは伊作である。対する目の前の子供、12歳と聞いていたが、はまるで伊作の倍は生きていますという落ち着きぶりで「やぁ」と応じたのである。
妙なのはそれだけではなくて、子供の身体は包帯ぐるぐる巻きなのである。
典型的な木乃伊男のイメージを絵に描いたような姿なのである。素肌らしきものがみえる箇所は右目とその周辺僅かだけであった。
虐待だろうか、と伊作は思った。
託児のアルバイトだって殆ど押し付けるような勢いで頼まれたのである。なにか家で厄介扱いされている子なのかもしれない。
これは今日一日優しくしてあげなければ、と伊作は殊更優しく呼びかけた。
「ええと、はじめまして、善法寺伊作です。えー君は、」
しかし伊作は子供の名前を覚えていなかった。なんだか難しい漢字の変な名前だったのである。
だいたいあんなもん・・・しょせんそんなもん・・・なんかこんなもん・・・以上はいずれも伊作が子供の名前を思い出そうとして浮かべた言葉である。つまりそんな妙ちくりんな名前だったのである。
こ、で始まったから・・・
「コーちゃんでいっか」
伊作がにこりと笑うと子供もにこりと笑った。
「あはは、伊作君冗談キツイなァ。よりによってコーちゃんかい?」
子供にとってコーちゃんというあだ名を付けられることは酷く愉快なことであるらしい。伊作もなにがなんだか分からないが子供が楽しそうなので笑った。子供は大変満足そうに伊作の腰の辺りにぎゅっと抱きついてくる。なんだか可愛らしいじゃないか。よいしょ、と伊作は子供を抱き上げた。
「お菓子買ってあるよ。中に入って…」
そこで伊作の言葉が途切れたのは子供が伊作の唇に口付けたからである。
しかも子供の小さな舌は歯列を割って口の中にまで入ってきたので伊作はぎょっとして子供を取り落としかけた。けれど伊作の両腕はちっとも動かず子供を抱き上げ続けている。こんな様を玄関前で晒し続けている訳にはいかないというのに。
ぢゅっと音を立てて伊作の舌を吸い上げて唾液の糸を引きながら子供の小さな唇が離れた。伊作の頬は赤い。
子供は伊作の耳の後ろから指を差し入れてその髪を撫ぜた。ぞわりと全身に快感に似た感覚が湧き上がり、これは良くないものだ、と伊作は直感した。直感したが伊作は子供を腕の中から下ろす気にならなかった。子供の片目がぎょろりと伊作の目を捉えた。ねぇ、
「君が思い出しやすいようにこんな成りで生まれてきたんだよ。」
そう囁いた子供の声は泥のように重く伊作の耳に滑り込んできた。意味は分からずとも伊作にはそれが不思議と途方も無い愛を囁かれたのと同じに聞こえたのであった。
≪ 9、幽霊と人間 文仙 | | HOME | | 6、妖怪と人間 鉢雷 ≫ |