▼林檎ちゃん
日はとっくに沈んでいたが、例の如く会計委員としての雑務を部屋に持ち帰っていた文次郎は蝋燭一本灯して机に向かっていた。
机の上には紙の山が積み上がっていて、その何れにも学園に幾つかある委員会の出費明細が記されているわけである。ところがその紙がひらりと一枚文次郎の手を離れて落ちていってしまった。
そしてこともあろうにその紙は空をひらひら漂って同室でさっさと布団を引っ被って寝てしまった仙蔵の枕の横に舞い落ちたのである。
紙切れは丁度届くか届かないかの微妙な距離に落下したので、文次郎は不精に畳みに肘を付いて身を乗り出し何気なく片手を伸ばし、そこでふと止まった。
仙蔵はなかなかに神経質なところがあって、こうして部屋でいつまでも文次郎が起きているまでは我慢がなるとしても、枕元に人の気配の寄れば必ず目を覚ますだろうと思われた。
しかし「ちょっと拾い物を」如きの用事にいちいち起こしてやるのも悪かろう、と文次郎は考えた。
だから文次郎は出来るだけ息を潜めて仙蔵に近づいたのである。
これは誓って気紛れに気を遣ってみせただけなのだが、文次郎はそれはもう特級の忍務でもこなす様に気配を消してそろりと仙蔵の頸の横に落ちた紙切れを拾おうと手を伸ばした。
しかしそこで流石と言おうか、仙蔵は目を開いた。
前置きもなくぱちりと開かれた目を見て文次郎は思わず動きを止めた。
次いで「しまった」と思った。変に気配を消して近づいたり、見咎められて固まったりではなにか害を及ぼそうとしていたみたいではないか。
文次郎は仙蔵が激昂するか不快気に顔を歪めるだろうと思った。ことによっては問答無用に一発殴られるかするかも知れない。
しかし仙蔵は大きな猫目を見開いて、口を薄っすら開いたまま只管に驚いた顔をしている…と思うと次の瞬間、首から頬から耳までカッと真っ赤に染まったのである。
「は…?」
文次郎は一瞬戸惑いはしたが、その怒りからではない赤面に仙蔵がどんな恐ろしい勘違いをしてしまったのかすぐに気がつくことが出来た。
夜這いに来たと思ったのだ、自分が仙蔵を。
違う!!誤解だ!!
と、余程文次郎は叫びそうになった。叫びそうになったのだが、それも寸でのところで飲み込んだ。
何故なら思いがけず生娘の様に赤くなった仙蔵に今更「いやちょっと失敬、拾い物を」等と恥をかかせる様なことをよもや文次郎に言える筈も無いのである。
言えない以上、最早文次郎の取る行動はひとつである。腹を括った文次郎は帳簿もそっちのけで薄く唇を開いて待っている仙蔵に覆いかぶさった。
酷薄そうな薄い仙蔵の唇は、火が出そうに熱かった。
(あとがき)この文仙はまだ恋とか愛とかの関係じゃない。仙蔵は前から文次郎が好きだった。そういうアレ
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