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僕らはみんな生きている(竹くく)/初めて人を殺めたとかそんな話


▼僕らはみんな生きている


 食堂はがらんと空いていた。
飯時から少しずれていたと言うのもあるし、学年単位の課外実習のあとでいつもは雪崩れる様に食堂に駆け込む育ち盛りの生徒たちが、今日の場合はひとりふたりしかやってこなかった所為でもある。
がらんと空いた何処でも座り放題の机と椅子の中から八左エ門の真正面を選んで兵助は腰を下ろした。他に一緒に飯を食う相手も見当たらなかった。味噌汁を啜り、魚を崩す。

「はっちゃん、元気?」
「おう、元気。」

にかっ、と顔を上げて八左エ門は笑う。いつ見ても飯の美味そうな顔だ。
兵助はそれを見てうん、と頷いた。八左エ門の前に座るとどんな日でも飯が美味い。実はここ最近終えた実習の中で兵助は人殺しをしていたので、飯が美味く感じるというのは幸福なことだった。八左エ門の組では今日、同じ課題が行われた筈だ。

「はっちゃん、今日ひとりだね」
「兵助だって」
「俺はいつもそうだよ」

いつも人に囲まれている賑やかしい八左エ門が今日はひとりでいるのはなにも、この期に及んで飯の食える生徒が八左エ門ひとりしかいなかったから、という訳だけではない。飯を食える神経が、敬遠されているのだ。八左エ門は常から蝶の一羽、蟻の一匹死んだと言って沈痛な面持ちで深く手を合わせる優しい性分であるから余計、人間様の命を奪った後でのうのうと飯を食う姿が理解されないのだ。
おかしな話だ。と兵助は思う。

虫けらの死を人と同じだけ悼む彼は優しい人だと肩を叩かれるというのに、人の死を虫けらと同じ程度に悲しむ彼は冷酷な奴だと鼻白まれている。
虫の墓を掘った後でも八左エ門は飯を食うじゃないか。

「命は平等だろ、兵助。」
「うん、はっちゃんは曲がっていないよ。」

命の平等云々に賛同するかは別として八左エ門は昨日も今日も己の信念通りに泣き笑い飯を食っているのだ。どこにおかしなことがあろうか。

「俺は八左エ門のそういうところが好きだよ」
「おう!」

ごちそうさまでした、明るく溌剌とした声で八左エ門は空の食卓に綺麗に合掌した。


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